70年来

このハーモニカの動画を  送ってくれたこの友人は

小学校4年の時以来の幼馴染で、今は、親友というより

ほぼ「身内」という気がしています。

知り合ってからもう、70年になります。

 

彼女とのお付き合いは

大財閥企業の企業城下町の、その関係者だけが通う小学校に

彼女が、転校して来て、彼女のお家に、遊びに行くように

なってから。

 

もう一人、叔母さまの友人の娘さんで、違う学校でしたが、

よく遊びに来ている同じ年の子がいて、

私達は、よく、三人で

居心地のいいお茶の間の、「掘り炬燵」に、潜り込んで

過ごしました。

 

今、思えば、もうすでに、「偉い方」だった「おじちゃん」の

晩酌なさる側で、私達は、沢山の話を聞かせていただきました。

子供の目にも、素敵なおじさんでしたね。

 

いつ行っても、暖かく迎えてくれた「おばちゃん」

食事までいただき、よく泊めて頂いたものでした。

 

当時、「母との二人暮らし」の、私にとって、

「家庭」というものの、暖かさを  、教えてくれた

「おじちゃん」と「おばちゃん」でした。

 

お二人は、晩年は、渋谷のマンション住まいで

私達は、三人一緒に、よく遊びに行きました。

おじちゃんが亡くなり

90歳過ぎても、一人暮らしを  していらした

おばちゃんが、亡くなり

渋谷で、三人で、会う機会が、この何年か、なくなりました。

 

いつか、おばちゃんに

「あんなに、私達が、入り浸たって、ご迷惑かけたと思う。

子供の友達を  あんな風に、いつも、おおらかに、受け入れることなんて

私には、あんなことできない」と

お話したことがありましたが

本当に、誰にでもができることではないと、今、思い返しても

なおさら、つくづく、有り難かったと思います。

それからも、ずっと、お二人には、お世話になりましたね。

 

柳田國男の姪で、インテリでいらした「おばちゃん」でしたが

気さくで

本当に、沢山の人に慕われる暖かいお人柄の方でした。

 

私にとってこの友人一家との沢山の思い出は

「大切な宝物」です。

このハーモニカのコンサートで、色々な思い出が蘇りました。