こんな感じで歩いています。
今のところ1日2000歩が目標。
続 続 97歳の 義兄の事
先日
お嫁さんに 自由な時間を
という 提案を したくて義兄に電話。
義兄にとって 心地よい 話題を 沢山 用意し ゆっくり 時間を
とって 。
機嫌よく 会話が 弾んだ後 肝心の話を
頭は しつかりしているのに 感心.?
1回目 は 上手に その話題を そらされて しまい
ほかの話に
仕方ないので また 最後に もう一度 その 提案を。
でも それについての 反応はなし
自分にとって都合の悪い話は 聞かない事が ありあり。
これでは本人からの 言い出しは ないだろう と 判断。
この際は
甥に 直接 話すしかないと
翌日 の 日曜日 に 甥に 電話。
案の定 義兄から それについての 話は 何も無かった由
常に 息子夫婦への 感謝の 言葉を 口にするのに
結局 自分さえ 良ければ という 義兄の 心根に 心底
ガッカリ。
そこで 甥に
お嫁さんの 人生を どう考えているのか?
誰にとっても 一度きりの人生 。
お嫁さんが何も言わないからと甘えて
ズルズルと この状態を 放置しては いけない。
この際 まず 結婚した娘との 旅行でも させてあげて欲しい。
娘について は こんな状態の 母親を 置いては 心配で
お嫁に行かれないのでは と案じていたのですが
今時 母娘の 旅行など 当たり前な事を
一度も させて あげたこともない 現状は あまりに 気の毒。
これから 一回限りではなく せめて 毎月
義兄からの たっぷりのおこずかいと共に
泊まりの 自由な時間を 過ごして貰うこと。
私の提案を 甥は 初めから 終わりまで しっかり 聞いてくれ
解った! まずは 一泊旅行からね 。 と
お嫁さんは あまりに長い 年月 の現状で 突然 の 自由な時間
に 戸惑うかも しれないけれど
彼女の グランドピアノさえ 物置き場と かしている 狭い 家での
舅の世話から 解放されるには 留守にするのが 一番いいのではと 。
娘や 友人との 旅行 だけでなく 子供達のうちに お泊り することでも
音楽会に 行くのでも
即 実行よ! と
甥に 念を 押して おきました。
この際は
親孝行にも 限度が ある事を 父親にも 納得 させなくては。
叔母さんの お節介も ここまで 。
仲のいい 夫婦なので 二人で 相談しながら これから なんとか
やつて 欲しい と 思います。
誰にとっても かけがえのない 人生
甥にとっても お嫁さんに対して 少しでも 後悔の 残らない
対処を して 二人で これからの 老後を 過ごしてもらいたいものだと
心から願っています。
続 97歳の義兄の事
先日 お嫁さんと 電話で 話しました。
その時 私の願い の 甥が 休みを とつて 、、、 という提案を
したのですが とても 甥は 休める 状況ではない との ことで
それなら 義兄は 2週間 くらいなら 私が 預かるから
お嫁さん が 一人で 友達となり 娘となり ひとり旅 ツアーに参加するなり
パリにでも ハワイにでも どこにでも 気分ばらしの旅に出ては?
と 言ってみたのですが
本人は
今のところ 友達と 1 泊で箱根あたりに 行ければ いいかな と
考えているの
との ことで 、、、。
先日 お嫁さんと ランチを 一緒にした姪から メール で 色々と知らせてきました。
この姪は 甥の 従姉妹にあたり 学生の頃 義兄の家に 居候させて貰った
時期も有り そんな関係から 家庭の事情 義兄の 気質もよくわかっているのです。
このところ私は 参加できないのですが 以前から
時々 お嫁さん 姪 の 3 人で ランチしています。
メールによると
お嫁さんの近況を 聞けば聞くほど 本当に気の毒。
例えば
晩酌から始まる 夕食の後も
毎晩のように 2時間も お嫁さん 一人で 相手をするのが この 何年もの
習慣 との事 。
まあ 仕事がある 甥には 時間的に 無理が あるとは 思うものの
、、、
こんな話を始め色々。
もう 信じられない!
と 姪は 毎度のことながら 憤つていました。
お嫁さんは 話を 聞いてもらえて スッキリ した と言っていた由。
私も 今時 これ程 面倒見てくれる お嫁さんなんて 見た事も
聞いた事も無い。
甥は 父親を 大事にして とても優しいのですが
実際に 世話するのは お嫁さんと いうことになるのですからね。
全く こんなに 長年 想像しただけで 私なら 耐えられません。
10何年も 前 に なるでしょうか 、 お嫁さんがあまりに気の毒なので 義兄に
施設に入って貰った方が いいのでは?と思った事もありましたが
どう考えても 義兄の気質から いって その環境の中で
うまく 行くとは思えず 又
兎に角
これほど 長生き するとは 想像も していませんでしたので
言い出せずにいました。
義兄は インテリで 情も有り 優しい人なのですが
気難しさでは
なかなか 手強くて 一度 機嫌を 損なわさせると あとが 大変。
私が奥さんだったら それこそ スパルタ式に ピシャリと 対応するところ
なのですが
もう 今となっては
お嫁さんの 優しさ ポジティブさ 明るさに すがるしかありません。
でも 私一人で お節介に やきもき してる気もするのですが
もう 70歳 近い お嫁さんに 一度しかない 人生に こんな毎日だけでではなく 楽しい
ことがある 少しでも 沢山ある人生を 送って 欲しものだと 思うのです。
近く 義兄に 電話して
感謝の気持ちは 言葉だけでなく 形で 、
日頃の お礼の 気持ちも込めて とりあえず 母娘での 温泉一泊旅行のプレゼント
はどうか、
そして これから
毎月 一回 一泊の 自由な時間 を たっぷりのおこずかい と共に と
いうのは どうかしら?
これこそ 生きたお金の 使い方 と いうものだし
夜には 甥も 帰宅することだから 元気な 今なら 一泊 くらいなら
問題ないのでは ?
そんな話を してみようか と 思っています。
これなら 実現 しやすいのでは と 思うのですが
上手く いくと いいのですが
97歳の義兄のこと
先日 姉の18年目の命日なので 久しぶりに 義兄に 電話を しました。
その時 今年 70歳で 定年になる 予定で その後 は 自由がきく 立場になると
聞いていた 同居 する甥 が 又 一段と 忙しくなる 要職に ついたとの
知らせ。
エー それは おめでとう と 私も 嬉しく 思いましたが
同時に 甥の お嫁さんが これからも 舅の世話で 明け暮れる 毎日が
続くのかと 思うと 本当に 気の毒で 複雑な 気持ちになりました。
お嫁さんは
姉の闘病期間も入れると 25 年 以上もの間 舅 姑の 面倒を 見て
くれています。
甥が 定年になれば 彼に 舅の 世話は ある程度は 任せて 少しは 自由に 過ごせると
楽しみにしていたでしょうに。
義兄は
姉と私は 年が 離れているので 私が 3歳の時から 父親同然で とても可愛がって貰い
世話になりましたので いつまでも 元気で 長生きして貰いたいとは思うのですが、、。
甥夫婦の老後を 考えると 、、
姉は 死ぬ間際 お嫁さんに 上等の お弁当箱を 買って 来させ
お弁当を 作って 自由に 出かけなさいね
と 言い残したそうです。
でも 気難しくて 我儘な義兄は お弁当を嫌がり 余程の理由がある外出以外 お嫁さんが
留守すると
機嫌が 悪くなるそうなのです。
本人は 寝たきりになると 迷惑を かけるからと 毎日 朝食前に 1時間かけて
筋トレを欠かさず
これには 脱帽 ‼︎ 我が家の 主人に少しは見習って欲しいもの 。
最近 通うようになった 週二回 午後2時間だけ 行ってくれるリハビリでは 優等生 と
本人が自慢しています。
ちなみに この留守の時間だけが お嫁さんの ホッと 出来る時間らしい。
これまで 色々の 病気や怪我も あったようですが 医者の息子の 適切な 対処
明るい お嫁さんの 世話を受け 今も 元気そのもの
このぶんでは いつまでも 生きそうです。
旅行といえば 何時も 10年以上も前に行った 海外旅行 そして たまの 国内旅行
夫婦同伴の 学会 でさえ 義兄は 同行。
甥達夫婦だけでの 旅など 皆無だと思います。
この節目に かねてからの
お嫁さんの 夢である クルージング 、 私のお勧めは 地中海 クルーズ なのですが
を させてあげたいものだと 。
甥の仕事が 一段落したら なるべく 早い機会に 無理をしてでも
2週間くらい休暇を取り
この際は
義兄が 機嫌よく ショートステイしてくれて
二人で ゆつくり クルージングを楽しみながら
ローマや ベニスなどの 寄港地で 二人だけで 気兼ねすることなく 体力があるうちに
自由に 歩き回れる旅を して欲しい。
いつも明るく 文句も言わず こんなに 長い間 尽くしてくれている お嫁さんを
言葉で 感謝するだけでなく 楽しい思い出を 作って もらって
ねぎらって 貰いたい と 強く 思います。
亡き姉も きっと あの世で そう願っているのは 100パーセント 確実。
今 の 私の一番の願い事は このことの 実現です。 どうぞ 叶いますように
近況
主人は 1カ月ほど前から 膝に 力が入らなくなり 意識も ぼんやりと して 具合がおかしくなった
ので 北軽井沢へ 戻る日に 東京の 病院に 連れて行き 水頭症の シャント調整を
していただきました。
今は 歩行補助器を 利用して自立歩行が かなり 出来るようになり 入浴も 介助なしでも
大丈夫になりました。
水頭症って 色々の 症状に 影響するのですね。
シャントという 医学の 恩恵を 受けられる 今を つくずく 有り難く思います。
相変わらず 色々と 問題は ありますが 食欲もあり
又 頭も 冴えてきたように思います。
今年は 軽井沢とは方向の違う 隣町の 上田市が 今の 私達の生活に 必要な全てが
揃った町であることを発見。
上田市の 市街地は
交通量の とても少ない緑豊かな 長野街道を 一時間 のドライブで
行ける 山に 囲まれた こじんまりした 盆地にあり
そこには 私達の 行きつけの店
回転寿司の スシロー
餃子の 王将
大きな ショツピングセンター
100円ショツプ
ビデオレンタルの ツタヤ
と なんでも 揃っています。
このところ 週に 1 、2 回 通っています。
このドライブは 一石五鳥 です。
ただ ドライブするだけでなく
案件が 色々 かたずくので気分が とても 楽になりました。
庭の方は 寒さに強い 宿根草を 手当たり次第 植えていますが それが 増えてくれるまで
には 2、3年は かかるでしょう。年寄りの私には気の長い 話です。
林檎は 朝に夕に 老眼鏡をかけて 虫退治 しているのですが 何個 無事に 実が
育つか 心許ない 状況です
。7
駐車場からテラスまで 車椅子に楽なように 去年 コンクリの 道にしました。
道沿いに ラベンダーの小さな苗を沢山 植えたので 大きく茂るのが 楽しみです。
先日は 早朝 家の前の 道路に 大きなイノシシを 。 カーテンを 開けた途端
目が合いました。庭を 掘り起こした 犯人が 判明。
アライグマも リスも見かけます。
鹿の 被害も 聞きます。
毎日 カレンダーは 空白。 のんびり過ごしています。
庭
6月1日 に 来た時は 楽しみにしていた 林檎の花は 終わっていました。
とても 残念、、
春蝉が 賑やかに鳴いています。
今朝 庭の 葉っぱの 上に 蝉。 キツと これが 春蝉s
姿が見られて ラッキー
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昨日の妻恋村のキャベツ畑